英語教育の歴史
今日は英語教育の歴史についてです。
幕末のころ、日本の事情を知っているアメリカは、オランダ語のわかる通訳を連れてきていましたから、日本のほうで英語通訳を出さなくてもよかったようです。
しかし、イギリスの中国侵略と、アメリカの日本開国によって、日本はいやでも英語を研究する必要を痛感しました。
幕末の外国語研究所ともいうべき蕃書調所で英語がはじめて採りあげられたのは安政3年(1856)であり、この時もオランダ語が主で英語は副でした。
英語が正科になったのは、それから4年後です。
その年の万延元年(1860)には遣米使節が出ています。
しかし洋学の主流は依然として蘭学にありました。
英米人のあらわした書物は多く中国で漢訳されていましたから、それを輸入すれば間に合ったのです。
本格的な英学は、福沢論吉が慶応3年(1867)に再度アメリカに渡り、大量の英書を購入してくるまで待たなければなりません。
幕末において英語を学んでいた青年サムライたちは何を目標にしていたのでしょうか。
慶応2年(1866)に、長崎のフルベッキの世話で、ある2人の青年がアメリカへ渡り、フェリス博士を頼って行きました。
さて・・・さて。
サッカーユニフォームでも見に行ってこようかな。
応援で着るんです^^